知られざるワインの聖地、アブルッツォを訪れる 後編
「緑の州」と呼ばれるアブルッツォ州は、アペニン山脈最高峰のグランサッソ、そしてマイエッラ山塊などを擁し、3つの国立公園、10以上の国立及び州立自然保護区が点在する。山岳地帯と海との距離が非常に近いため、昼と夜の寒暖差が大きく、そのため風も一年中吹いている。また雨が少なく、日射量が多い。こうした条件の全てがブドウ栽培に適しており、古代ローマ時代からワイン造りが行われてきたのである。
アブルッツォのブドウ畑は伝統的にペルゴラ・アブルッツェーゼと呼ばれる棚づくりで仕立てられてきた。これは他の地域に見られるようなコルドーネ・スペロナートやグヨーなどの並木仕立てに比べて葉の数が多くなる。つまり光合成を盛んに行わせ、エネルギーをたっぷり蓄えさせて、ブドウの収量を増やすための方法だ。量が重視された時代の習慣だとして、クオリティを重視する新興のワイナリーではペルゴラをやめるところは多い。
ペスカーラ県ロレート・アプルティーノにあるワイナリー「チャヴォリック」は畑の地勢、気候に応じて、最も適していると思われる仕立てを採用している。オーナーのキアラ・チャヴォリックさんによると「この土地は北と南の分水嶺的な性格を持っているので、比較的気温が低く雨の多い土地の畑では並木仕立て、気温が高く乾いた土地の畑はペルゴラ、というように変えています」。こうすることで、多雨あるいは干ばつという年ごとの問題に対処し、毎年一定のクオリティを保つことができるという。
大学で法律を学び、卒業後は弁護士になるつもりだったキアラさんは、突如病に倒れた父親の後を継ぐことになった。それまでチャヴォリックは北イタリア向けの量り売りワインを作っていたが、畑では寄生虫が発生し、ワイナリーを任せていたマネージャーは備品なども含めて一切を持ち去っていた。何もかも立て直さなければと一念発起、畑の一部を売り、量り売りをやめて瓶詰めに切り替えた。さらに、ブドウから育てた自然の酵母を使って醸し、ステンレスタンクではモダンなワインを、セメント槽やアンフォラと呼ばれるテラコッタ製の醸造槽ではトラディショナルなワインを、といった具合に目指すワインのスタイルを明確にした。その結果、わずか18年で国内外のメディアやワインガイドから高い評価を受けるワイナリーとなったのである。
アブルッツォのワイナリー旅をナビゲートする、ワインバー「Vinoda」店主小田さん曰く、「チャヴォリックのワインはどれもキアラさんのように凛として芯のある味わいに仕上がっています」。さらに付け加えて「とりわけ、キアラさんがワイナリーの責任者となった時から5年を経た頃にさらなる投資をして造り始めたというフォッソ・カンチェッリ(Fosso Cancelli)はどれも力強く、非常に個性的です」と言う。
「ペコリーノは明るいレモンイエローで、セージやタイムなどの地中海ハーブの香りを持ち、豊富なミネラルと酸と共に柑橘系の果実が広がります。小魚の南蛮漬け、またレモングラスやナンプラーを使う様なオリエンタルな料理に合わせるのも楽しいですね。一方、モンテプルチャーノは、濃い紫がかったルビー色で、完熟した果実や黒コショウ、ビターチョコレート、リコリスの香りがあり、しっかりとしたタンニンと酸が力強く感じられます。アブルッツォの伝統の食であるコショウやオレンジの皮で味つけられたスパイシーなベントリチーナ・サラミとか、アロスティチーニ(羊の串焼き)と合わせたいですね」。
キエーティ県の南部、アドリア海から5キロほどの丘陵地にある「カンティーネ・ムッチ」はアウレリアとヴァレンティーノの姉弟で営む家族的な雰囲気のワイナリーだ。19世紀終わりに曽祖父ルイジ・ムッチがキエーティの農学校で醸造技術を学び、家業の農園でエノロゴとしてワイン造りを開始。1982年に祖父ヴァレンティーノが業態転換を図り、1984年に初めて瓶詰めを開始。以来、ヴァレンティーノという名のワインを造り続けている。ロゴは槍を携えた騎馬兵。これは勇猛なバイキングの伝説にちなんだもので、その名はValiant、イタリア語のヴァレンティーノである。
ブドウ畑は本拠とするトリノ・ディ・サングロに点在し、合計して16ha。モンテプルチャーノ、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、サンジョヴェーゼ、トレッビアーノ、ペコリーノ、ファランギーナと多彩な品種を栽培している。特に、カンパーニア州で一般的なファランギーナを33年前から育てているというのは珍しい。手がけているワインもバラエティに富んでおり、ペコリーノとファランギーナをシャルマー方式で醸造するスプマンテ、祖父の名を冠したベーシックラインのヴァレンティーノ(Valentino)シリーズ、クリュのサント・ステファノ(Santo Stefano)シリーズ、単一品種のカンティコ(Cantico)シリーズのほか、デザートワイン、オリーブオイルも生産している。
「海抜150〜200mの石灰質土壌で、山と海の影響を上手に利用したワイン造りを行なっています。アブルッツォでは珍しく、さまざまなブドウを育て、最先端の技術やアメリカンオークを使いこなしている、近代的なワイナリーです」と小田氏。「とりわけ印象に残るのは、カンティコシリーズのファランギーナ・テーレ・ディ・キエーティIGT 2019。鮮やかな黄金色、黄桃のコンポートや完熟したトロピカルフルーツの豊かな香り、クリーミーで、バターやバニラが感じられ、おだやかな酸が全体をまとめます。温野菜のポーチドエッグ添えや魚介の入ったクリームパスタなどと合せたいですね。また、プレスティージュラインのクッバディ(Kubbadi=cosa vuoiの方言)・ロッソ・テーレ・ディ・キエテーティIGT 2015は、モンテプルチャーノ、カベルネ・ソーヴィニヨン、サンジョヴェーゼ、メルローの4つの品種を使っています。4つがハーモニーを奏でるということで、4本の弦のバイオリンをモチーフにしたエチケットが印象的。ワインは、濃いルビー色で、完熟したプラムや甘草の香り、さらにビターチョコや黒コショウ、クローブなどのスパイスが豊かに広がり、優しいタンニンと共に長い余韻を楽しめます。牛肉の赤ワイン煮込み、和食ではすき焼きなどとあわせると良さそうですね」。
海と山、両方からの風の影響を受けるのがアブルッツォワインの特徴と言われるが、沿岸都市ペスカーラから約40km内陸にあるワイナリー「テヌータ・セコロ・ノーノ」はグラン・サッソ山塊の南端にほど近く、盆地状の土地でブドウ栽培を行っているため、海からの影響はほとんどない。しかし、この土地は古より銘醸ワインの産地として知られ、とりわけ9世紀頃より造られてきたサン・クレメンテ修道院のモスカテッロ種ワインは歴代の法王への献上品でもあった。
ところが1950年代に修道院が閉鎖、ワインはもちろんのこと、そのブドウも絶滅の危機に。当地で実業家として成功し、引退したのちにテヌータ・セコロ・ノーノを設立した創業者は、子供時代の記憶にあった“幻のワイン”の復活に乗り出した。キエーティ大学の協力を得て、わずかに残っていたブドウのクローンを作り、120あまりの中から選んだ8つのクローンを元に苗を増やすことに成功。その品種に地名を冠してカスティリオーネ・ア・カザウリアのモスカテッロ種と名付け、現在はデザートワインとドライの白ワインを造っている。
「盆地には熱が溜まるため適度にブドウが熟し、果実味豊かなワインが出来やすい。昔ながらのワイン造りの方法を守りながら、最先端技術を駆使して優れたワインを造るワイナリーです」と小田氏は言う。「モスカテッロのドライなタイプであるフォンテ・グロッタ(Fonte Grotta)コッリーネ・ペスカレージ・ビアンコIGT 2020は、淡いグリーンがかった色で、メロンやキウイなどの甘い香りが特徴。地中海のフレッシュハーブのニュアンス、程よいミネラルと穏やかな酸が感じられる爽やかな味わいです。生ハム&メロンやハーブを使ったサラダ、魚のカルパッチョに。デザートワインのモスカテッロ・パッシート・コッリーネ・ペスカレージIGT 2017は、キンモクセイやベルガモット、トロピカルフルーツの香り。柔らかい甘味を豊かな酸が味わいを支え、バランス良く仕上がっています。食後のチーズやドライフルーツ、和食ではフルーツあんみつを合せてもいいですね」。
アブルッツォのワインは山と海、そして人が育んだ、豊かな個性に溢れている。現地を訪れ、造り手の話を聞きながら飲むと、味わいの後ろに隠れていた物語が立ち上ってくる。ローマから車で3時間でたどり着けるワインの聖地アブルッツォへ、知られざる物語を訪ねてみてはいかがだろう。
Ciavolich https://www.ciavolich.com
Cantine Mucci https://cantinemucci.com/winery/?lang=en
Tenuta Secolo IX https://tenutasecoloix.it/
記事:池田愛美