この連載も今回で終了です。思い出話をメインに書く連載は、初めは乗り気ではありませんでしたが、意外と贅沢な時間でした。というのも、過去を振り返るのって、あまりカッコいいことではないし、意味のないことだと思っていたからです。しかしながら、”イタリアで過ごした時間”、という制限付きの過去を振り返れたことは、七転八倒したり、悪あがきした時間、当時は客観的に見られなかった自分、を振り返ることにつながりました。逆説的になりますが、このことは自分達の現在地を知るいいきっかけにもなりました。
最後は結びの挨拶に変えて。
2022年初夏、3年ぶりくらいにイタリアを訪れました。ヴェネツィアビエンナーレを堪能し、ドロミテの雄大な自然を楽しみ、ミラノサローネに溶け込みました。普段滅多に美術館など行きませんが、ヴェネツィアでは毎日たくさん美術館を巡ったし、普段山登りもしませんが、ドロミテのトレッキングは仲間達と永遠に歩いていたいと思うほどの体験ができました。ミラノでは旧友たちと再会し、大した話はしてないけど、再会できる大切な人たちがいることの素晴らしさ、コミュニティのありがたさ、を感じました。
街中でマスクをしている人はほぼ皆無で、照りつける強い日差しの中、昼間から飲み過ぎたワインのせいなのか、一瞬、今がいつなのか、分からなくなる瞬間がありました。ちょうど昼食と夕食の間くらいの時間、ミラノの街を彷徨いながら感じたそれは、不思議な体験でした。あれ? 今ここ俺ミラノ?コロナなんてなかったのかな?うちの子ども達はまだ学校かな?
一瞬のことでした。僕はまたすぐに現実に戻りました。ああそうか。それは5年前の話か、と。 今回は一人でカラ出張みたいなものをしに来ただけか、と。もちろんワインや時差ボケのせいもあったんでしょう。でも、それだけじゃない、人を錯覚させる熱みたいな何かがそこにはあった。
その何かが、「イタリア」なんだと思います。雄大で、普遍的で、自分にも他人にも甘く優しくて、長い長い歴史に囲まれているからこそ、全力で「今」を楽しもうとする、そのなにか。25年以上に渡り、僕のことを魅了し続けるものの正体は、輪郭のぼんやりとした、朧げで、時間と空間と思い出とでできた、時空を歪めることのできる、決して宝物には見えない、というかそもそも目に見えない、とんでもない宝物だったんだなとわかりました。
イタリアという国に、人々に出会えたことに、ただただ感謝して、結びの回とします。ありがとうございました。
ドロミテにあるトレチーメ。圧巻です
ヴェネツィアはいつ来てもヴェネツィア
連日の激務(笑)のため、ヴァポレット内で寝落ちする筆者。友人撮影。
そういえばスリとかも減った気がするなぁ
志伯健太郎
クリエイティブディレクター。慶應SFC、イタリア・ローマ大学建築学科で建築デザインを学び、2000年電通入社後、クリエイティブ局配属。数々のCM を手がけたのち、2011年クリエイティブブティックGLIDER を設立。国内外で培ったクリエイティブ手法と多様なアプローチで、企業や社会の多様な課題に取り組む。 glider.co.jp