連載の一回目vol1の記事で書いた箇所を一部、再掲します。以下再掲
2015年。ミラノで万博が開催されることになり、僕は万博の仕事を手伝うチャンスをゲットした。それにあたり、ビザも発行してもらえることになった。就職で日本に帰国して以来、まさに15年越しのイタリアに戻れるチャンス。新卒で入社した広告代理店は辞めて都内で零細企業を経営していたが、迷いはなかった。家族四人でミラノに行く。もう一度あの国で暮らす。妻の同意を得て、仕事関係の人たちやスタッフに頭を下げ、最低限の荷物を持って、家族4人ミラノに降り立った。娘が7歳、息子が3歳だった。そこから約2年間、2017年に再び日本に帰国するまで、家族四人、ミラノを拠点に、七転八倒しながらも、濃密な時間を過ごした。
ということで、家族四人で過ごしたイタリア、主にミラノです。真っ先に思い出すのは、イタリアの人々の、子供たちへの無償の愛。優しい。本当に、子供に優しい。僕の周りに居たイタリア人たちは、子供の性格・容姿・何から何まで全てを、褒めて褒めて褒めちぎる。”きちんと躾を”みたいなことを言う人はあまり見かけなかったし、親が子供を怒っているのなんて、ほとんど見たことがなかった。
教育現場でも同様だった。うちは良縁に恵まれ、長女長男はモンテッソーリ教育の英語とイタリア語のバイリンガル学校に編入させていただいた。長女はすぐに片言の英語を話すようになり、長男は3歳だったこともあり、言葉出来なくても友達は作れることに気づき、二人とも楽しそうに通学してくれた。モンテッソーリ教育は本当に先進的だった。時間割は特にない。子供たちは朝学校に行くとその日自分が学びたいものを自分で決めて、自分で勉強を始める。同じ教室の中で、算数をやっている子もいれば、美術をやっている子もいる。(算数といっても日本の算数とは全く別物に見えたが)先生はそれを見守り続け、時に助け船を出す。給食は、幼稚園小学校といえども、きちんと、プリモ〜セコンド〜ドルチェと用意されており、感心した。そうして先生たちは優しい。その優しさは子供たちへも伝播していく。イタリアで偶然出会った学校は、僕には未来の学校に見えた。
教訓:イタリア人のように、自分ももっともっと子供に優しくなりたい。
イタリアは愛の国とよく言われる。それは当然、男女間の愛、だけではない。というかむしろ、男女の愛はごく一部で、それ以外、親子の愛、弱者への愛、、、etc 「包摂の愛」のようなものに満ちた国ゆえの「愛の国」なんだ、と。これはある程度まとまった時間暮らして初めて実感できた、大切なポイントでしたね。
子供たちは簡単に国籍や言語を超えていく。僕も大学生の頃はそうだったけど
志伯健太郎
クリエイティブディレクター。慶應SFC、イタリア・ローマ大学建築学科で建築デザインを学び、2000年電通入社後、クリエイティブ局配属。数々のCM を手がけたのち、2011年クリエイティブブティックGLIDER を設立。国内外で培ったクリエイティブ手法と多様なアプローチで、企業や社会の多様な課題に取り組む。 glider.co.jp