Storie di passione italianaイタリアに恋しちゃう物語

人生は祭りだ Vol02クロトーネ:寝台列車でお腹をこわした話

1998年の夏前に、僕はローマに降り立った。招かれた現地の食事の席で、生ハムメロンに初めて出会った。お皿にそれが乗って出された時、頭の中が『?』でいっぱいになった。おいおい冗談だろ。メロンだぜ。『イタリアではメロンがあまりにも安くて、こうしてメロンをお皿の代わりに使うのだろうか』『ファッションショーで奇抜なルックのモデルを歩かせるように、食べ物もこうして奇抜な組み合わせで出すのがオシャレということか』etc。自分にとってメロンとは、お盆のお供物とか、お見舞いに持って行くお土産か。そもそも自分にとってメロンはフルーツだから、ご飯と一緒に出てくるものではなかったのに、ご飯の、いきなり一品目に、上に生ハムを被せられて登場してきた。今から25年前、1998年当時の大学生にとっては、生ハムメロンは新しかった。と目の前の人が、当たり前のように、フォークとナイフで、メロンの上に生ハムを乗せた状態で食べた。本当に驚いた。こういう経験が大切だったんだなと、今になって思う。それからの1年半ほどに及ぶ留学生活の間、衝撃的な出来事を、僕はたくさん経験することができた。そうしてだんだんと僕は大人になっていった。

イタリアで最初に住んだアパートメントは、南イタリア・カラブリア州にあるクロトーネという街出身5人との共同生活だった。正確にいうと、5人が暮らす部屋に、一部屋空きが出たからと言われて、イタリア語もろくに喋れないまま転がり込んだ。カラブリア出身の、男子大学生5名、と、一つ屋根の下に暮らす。それはそれは賑やかで、カオスだった。安いワインと、クロトーネのマンマお手製サラミやバジルペーストで、毎晩、本当に毎晩、フェスタ(飲み会)だ。勉強どころではない。そうしてすぐに夏のヴァカンスの時期が来た。大学は長い休暇に入るので、彼らは一斉にクロトーネに帰省する。一人残されるであろう僕を見かねたアントニオやジャンルーカ、コロラドが「お前もクロトーネに来いよ。うちに泊まれば良い」「いや、うちに泊まれ」「いや、ウチに泊まるべきだ。ママも喜ぶ、日本人が来たって言って」など、ありがたいお誘いをしてくれた。(イタリア人は、友人を家に泊めたがる人が多い気がする)

彼らから遅れること5日ほど。ローマのテルミニ駅を出る寝台列車で、僕もクロトーネを目指した。「道中暇だろうし、これでも」とクロトーネ産の辛いサラミやらペーストやらをたくさん渡され、安い赤ワインと共に列車に乗り込んだ。イタリアに来て最初に行く国内旅行がクロトーネというのもマニアックで良いな、など思いながら、お手製のつまみを赤ワインで流し込んでいた。ら、お腹を壊した。辛すぎたようだ。

翌朝、少しこけた感じで、朝から灼熱のクロトーネ駅に到着。アントニオが迎えに来てくれていた。「眠れたか?」と言われたので、唐辛子でお腹を壊した話をしたら、予想通り、ゲラゲラ笑う。その後、彼の家に行き、マンマと初めましてのハグをした後に、マンマはそっと下痢止めを渡してくれた。

 

教訓:イタリアの寝台列車で、辛いものを食べすぎてはいけない

 

時は流れて2015年。ミラノ暮らしていた時、カラブリア料理を食べられるお店があると聞き妻と行ってみた。Ristorante Dongio www.dongio.it 美味しかった。その味は、1998年の夏、僕が当時の同居人たちの実家で過ごした時間を思い起こさせてくれた。興味がある人はぜひどうぞ。

 

1998年8月ごろ 
クロトーネのビーチにて。一番右が筆者。後ろに写っているビキニの女性が誰だったかわからないが、毎日ずーっと、寝ても覚めてもこんな感じにふざけてばかりだった

 

志伯健太郎
クリエイティブディレクター。慶應SFC、イタリア・ローマ大学建築学科で建築デザインを学び、2000年電通入社後、クリエイティブ局配属。数々のCM を手がけたのち、2011年クリエイティブブティックGLIDER を設立。国内外で培ったクリエイティブ手法と多様なアプローチで、企業や社会の多様な課題に取り組む。 glider.co.jp