ノスタルジーを誘うお菓子、メリンガータ
フィレンツェで150年近くの歴史を持つトラットリア「ソスタンツァ」。実質、物質という店名の通り、料理には余計な飾りを一切しない。季節感も一切無視、一年中同じメニューでその種類もごく限られているのだが、食についてコンサバなイタリア人の中でも頑なさに欠けては一、二を争うと思われるフィレンツェ人にとっては殊の外安心できる店なのである。その店の定番のデザートが、メレンゲを使ったケーキ、トルタ・メリンガータだ。子供の頃にここで食べたトルタ・メリンガータが忘れられないというフィレンツェ人は少なくない。
トルタ・メリンガータ、直訳すればメレンゲケーキだが、実際にほぼメレンゲとホイップクリームのみでできている。基本的な作り方は、砂糖を加えて固く泡立てたメレンゲを絞り出し袋で円盤状に形どったものを2枚、残ったメレンゲは適当に絞り出し、全てをごく弱火のオーブンでカリッとするまで乾燥焼きする。メレンゲには卵臭さを消し、ツヤを出すためにレモン汁少々を加えることもある。冷めた円盤状のメレンゲの上にホイップクリームをたっぷりのせ、もう一枚の円盤メレンゲを被せ、上面にホイップクリームを塗り、砕いた残りのメレンゲを全体にまぶし付ける。ホイップクリームにはバニラを加えて泡立ててもいい。また、挟むクリームにチョコレートチップを加えることも多い。これを冷凍庫で冷やし固めるのである。
このトルタがいつ頃から作られるるようになったのかは定かではない。生クリームを泡立てると膨らむことは中世の頃から知られ、泡立てた卵白を乾燥焼きするメレンゲ菓子は18世紀にイタリア系スイス人菓子職人によって編み出されたと言われている。ただ、メレンゲは常温でも問題ないが、ホイップクリームは低温で管理しなければならない。つまり、冷蔵庫が一般向けに登場した20世紀初め以降に、冷たいホイップクリームのお菓子が増えていったのは確かだろう。
メレンゲとホイップクリームの組み合わせという点で、イタリアの外に目を向けてみると、「パブロヴァ」というケーキが浮上してくる。1926年頃、オーストラリアまたはニュージーランドのホテルの菓子職人が、世界的なバレリーナ、アンナ・パブロヴァに捧げて編み出したという。そのほかにも20世紀初頭にはメレンゲを使ったさまざまなお菓子がアメリカを中心に多く生まれており、イタリアでもメレンゲとメレンゲの間にホイップクリームやそのほかのクリームを挟んだお菓子(メリンガ・リピエーナまたはスプマンティ・リピエーニと呼ばれる)があった。トルタ・メリンガータはこのお菓子の発展系なのか、アメリカから伝わったものをアレンジしたのか。あるいはその両方が合流したものなのかもしれない。
話を現代に戻そう。フィレンツェのパスティッチェリア、特に老舗ではほぼ必ずトルタ・メリンガータを作っていて、お店それぞれに少しずつ味わいが違うのも面白い。今、フィレンツェのトルタ・メリンガータを試すなら、2020年9月に新しくオープンしたパスティッチェリア「ガンベリーニ」がお勧めだ。1907年にボローニャで創業、百年以上の歴史を持つ店だけが加盟を認められる「ロカーレ・ストリコ・ディ・イタリア」にも名を連ね、ボローニャでは知らない人はいない名店である。朝は焼きたてのブリオッシュが人気だが、とりどりのパスティッチーニにも捨て難い。何より、たっぷりのホイップクリームやクレーマ・シャンティリが抜群に美味しいのだ。その初めての支店がフィレンツェに登場したのである。旧市街のやや外れという立地にも関わらず、そしてコロナ禍の制限下であっても多くの人が訪れ、瞬く間にフィレンツェの人気菓子店の仲間入りを果たした。トルタ・ミモザや森のベリーのタルトなどがボローニャでは有名だというが、フィレンツェで欠かせないのはやはりトルタ・メリンガータである。モノポーションはなくホールケーキのみ、それでも直径10cmくらいの小さめサイズもある。冷凍状態ゆえ、食べるためには冷蔵庫にしばらく置いて半解凍程度にする。ジェラートと違い、ホイップクリームには空気がたっぷり含まれているので冷たすぎることはなく、メレンゲのサクサクした歯ごたえが心地いい。季節が許せば苺ではなく野いちごを添えると、その甘い香りがクリームと相まってなんとも言えない夢見心地に誘われる。ものすごくシンプル、だけれど奥深い。イタリアの食の真髄はこんなところにも潜んでいる。
Caffè Pasticceria Gamberini a Firenze
Via Curtatone, 6 Firenze
Tel. 055-0982194
https://gamberini.eu
記事:池田愛美