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Miura

 ランボルギーニからこんなニュースリリースが届きました。1971年3月のジュネーブモーターショーに出品されたミウラSVから今年で50年の月日が経ったと……。
 ところで皆さんは、ランボルギーニミウラと言うクルマを知っていますか? 歴史に名を残すスーパーカーです。で、その“ミウラ”と言う名前ですが、日本人だとどーしても“三浦”って文字が頭に浮かびますよね。あの高級時計のように。
 でも、それは当然ながら間違いで、正解はイタリア人の名前です。その名はフェデリコ・ミウラ。あ、人名と言う意味では同じでした。では、この人はナニモノか? 実は彼、牧場の経営者で、闘牛の生産者です。どうやらランボルギーニの創業者フェルッチオ・ランボルギーニさんの友人だったとか。
 では、ランボルギーニさんはなぜ友人の名前をクルマにつけたのか。答えは他のモデルにあります。実はランボルギーニの車名は闘牛の名前が多く使われてきました。イスレロ、ジャルパ、ディアブロ、ムルシエラゴ、レヴェントン、ウラカンそしてアヴェンタドールがそうです。ガヤルドは闘牛飼育家の名前のようですね。

 そしてこうした名前が付けられた理由はエンブレムに隠されています。今度じっくり見てください。闘牛の絵が描かれています。なるほど、ブランドのコンセプトが闘牛だったんですね。でも、なぜランボルギーニさんは闘牛を描いたのか。
一説によるとそれはフェラーリに対抗していたと聞きます。フェラーリといえば別名“跳ね馬”。つまり、馬に対する牛と言うことです。確かに、相手が馬なら牛にしたくなる気持ちはわかります。フェラーリ創業が1947年、ランボルギーニは1962年ですから、後発としてはマーケティングの面からもいい戦略かもしれません。ポジションがわかりやすいですから。
 まぁ、ランボルギーニさんがフェラーリに対して色々行動を起こしていたことはここでは省きますが、対抗心が会ったのは明確でしょう。もしかしたらそれがモチベーションとなり、今日までブランドが継続しているのかもしれません。いずれにせよ、イタリアの自動車史は調べれば調べるほど興味深い話が尽きませんね。


記事:九島辰也