Storie di passione italianaイタリアに恋しちゃう物語

人生は祭りだ Vol10トスカーナ他:池、川、海で釣ったよくわからない魚たちを素揚げにして食べた話

当時3歳だった息子を、ミラノ郊外の釣り堀に連れて行った。魚が大好きだったので。現地に着くとレンタルの釣竿や餌を買って、いわゆる釣り堀的な池に糸を垂らした。仕組みは確か日本とあまり変わらなかった気がする。その池には何人か、もうちょっと年上のお兄ちゃんたちも居て、息子の方をチラチラと見てきた。息子もチラチラ意識していた。「おいチビ、ほんとにちゃんと釣りできるのか?」と言わんばかりの、アウェイな視線が息子に注がれいて、息子も勝ち気に「見てろよ」と言わんばかりのオーラを出していた。僕にはそれが、サッカー選手が欧州リーグに渡り、はじめは、お手並み拝見とばかりになかなかボールが回ってこない状況を想起させた。かなり長い間釣れなかったと思う。それはその池にいる釣り人たちみんなが。そんな池の静寂を、3歳の息子が破った!大きなマス?のような魚を釣り上げた。その瞬間、それまで黙って遠くから見ていたイタリア人の子供たちが駆け寄ってきた。「やるじゃないか!」「すごいぞお前!」という感じで祝福してくれたのだ。僕にはそれが、加盟したばかりの日本人選手が、デビュー戦でゴールを決めた時のように見えて、誇らしかった。息子にとっては、これが初めての真の国際交流のようなものだった。

以来、自分のことを釣り名人と思い始めた息子は、ミラノ以外、イタリア各地を旅行するといつも、釣りをしたがるようになった。釣り堀はあまりないから、僕が日本の上州屋で買ってきたおもちゃみたいな釣り竿と簡単な仕掛け、餌はパンか米粒で、池、川、海どこででも糸を垂らし続けた。イタリアではあまり釣りをする人がいないのか、いい加減な仕掛けでも雑魚がよく釣れた。ベネチアでもやってみたら、綺麗な水とは言い難い海だし、誰も釣りなんかしてないせいか、ほぼ入れ食い。小さなアジア系の男子がベネチアで釣りをしている、という様子が面白いのか、写真を撮っていく人までいた。

息子は自分が釣った魚を食べたがった。イタリアは小魚のフリットなどが美味い。なので、そうしてほしい、と言って毎回僕はその、得体の知れない魚を揚げて、毒味も兼ねながら食べ続けた。正直あまり食べたくはなかった。しかし息子が喜ぶなら、というのと、まあ確かに素揚げして塩を振れば大抵の雑魚は食えるもんです。今10歳になった息子は、ヘビを捕まえて食べてみたい、と言っている。多分この当時の影響だろうと思ってます。


均衡を破った瞬間、仲間たちが駆け寄ってきた

 

そしてこのドヤ顔

 

トスカーナ郊外


ベネチア

 


ミラノ郊外

 

得体の知れない魚たち

 

 

志伯健太郎
クリエイティブディレクター。慶應SFC、イタリア・ローマ大学建築学科で建築デザインを学び、2000年電通入社後、クリエイティブ局配属。数々のCM を手がけたのち、2011年クリエイティブブティックGLIDER を設立。国内外で培ったクリエイティブ手法と多様なアプローチで、企業や社会の多様な課題に取り組む。 glider.co.jp