Storie di passione italianaイタリアに恋しちゃう物語

ミラノでガストロノミーを追求する岩井武士シェフ「Aalto」の挑戦

2020年11月、イタリア ミシュラン2021の発表はオンラインで行われた。新たに星の評価を得たシェフが幾人か画面に登場したが、その中にリストランテ「Aalto」の岩井武士シェフの姿があった。2019年11月にオープンし、すぐ翌年に一ツ星という快挙。それだけでも偉業だが、2020年2月下旬からロンバルディアを皮切りに猛威を振るったコロナのせいでレストランは夏の一時期を除いて休業せざるを得なかったことを考えると、ほんのわずかの間に星に値すると認められたことになる。“イタリアで活躍する日本人料理人の中で最も星に近い”との噂は数年前からあったが、それがパンデミックの最中に実現したのは、かつてない暗黒時代に突き落とされたイタリア料理業界にとっても久しぶりの明るい話題であった。
2021年となってもイタリアは引き続き厳しい制限が敷かれ、5月に入ってようやく段階的な解除が行われて、グリーンパス(ワクチンパスポート)の導入とともに屋内レストランでの飲食が全面的に可能となった。リストランテAaltoも営業を再開し、秋から冬にかけての本格的な外食シーズンに向けて大きく前進しようとしている。そのタイミングで岩井シェフに話を聞く機会を得た。

料理人としてのスタートは25歳。興味の持てるクリエイティブな仕事について思いを巡らせた結果、イタリア料理の世界に飛び込むことを決意、当時手打ちパスタで知られた「トルッキオ」の林亨氏に付いた。そこで4年半を過ごすうちに、ある人からはイタリア料理の道を行くならイタリアに行くべきと言われ、またある人からは行く必要はないと言われ、判断するには一度イタリアに行こうと、ひとまず旅行でイタリアにやってきた。しかし即座に「これは来なくてはダメだ」と思い、日本に戻って早速渡伊の手続きを始めた。まずはローマからだろうと現地に降り立ったのが2007年。言葉も話せないまま飛び込みで入った観光レストランから、岩井シェフのイタリア修業の道が始まった。
ローマ、ジェノヴァ、ボルツァーノ、シチリア、ヴェネツィアなど各地で働いた。当初は5年くらいで帰るつもりだったが、いつしかイタリアでどこまでやれるかが目標になっていた。初めてシェフとして招かれたのはミラノ郊外の農園、いわゆるアグリトゥリズモで、農業体験や農園の産物を使ったレストランが主体だった。場所柄、昼はお客も来るが夜は誰も来ない。そこでオーナーに掛け合って、昼のトラットリア料理とは違う、リストランテ料理を提供する場所「Ada e Augusto」を立ち上げた。
「そこでの料理コンセプトはキロメートル0。地産の素材、取れたものを主役にしていたので、魚も淡水魚以外は使わない。旬の新鮮な素材の良さが第一。しかも、自然は移り変わるので、例えば、今日取ったにんじんと明日取るにんじんは味が違う。だから、料理の仕方も変えなければいけない。甘さが違うなら、それに適した料理の仕方を考えなければならない。同じように見える料理も、その時期にしかない味を出したい。といった具合に突き詰めて考えるということが身についた時代でした」。

2019年末でAda e Augustoを辞めることは決まっていた。
「僕の料理は多分ミラノでないと通じない。おそらく他の土地では理解してもらうのに時間がかかる。ミラノがイタリアの中でも一番オープンなメンタリティを持ち、ガストロノミーが受け入れられる素養があると確信していました」。
ミラノでもいくつかの誘いはあったが、最終的に選んだのはコンテンポラリー・ジャパニーズをミラノで成功させた「IYO」グループを率いるクラウディオ・リウとのコラボレーションだった。
Aaltoのシェフとしての始動は、最初のロックダウン明けだった。ところが4ヶ月後に再びロックダウン。これはまさに青天の霹靂で、結局7ヶ月も閉めることになった。その間、デリバリーも検討したが、Aaltoの客層が求めているものをデリバリーでは提供できない。さらに、デリバリーを始めて軌道に乗ったとしても、ロックダウンが解除されたら、厨房の設備として両立ができない。さまざまな事情を鑑みての完全なクローズだった。
「最初のロックダウンは本当に不安だった。人類史上誰も経験したことのない惨禍であり、イタリアは最も初期に悲惨な状態になった国だった。家から出られない、散歩するにも許可証が必要、どうなるかわからないという状況の中、グランデシェフたちがさまざまな予想を述べていたが、僕が知りたかったのは、ではあなたはどうするんだ、という解決策。でも、誰もそれについては言わない。僕も、飲食店は変わるであろうと思った。経済的にも厳しくなり、価格帯を下げざるを得なくなるだろう。しかし、たとえ貧困層が増えても富裕層が減るわけではない。つまり、僕らのメインターゲットは変わらない。この店は開けたばかり、席数も従業員もこれで決まっている。だから、スタイルは変えず衛生面の管理を徹底して再開しようということになりました」。

再開直後は減らしていた席数もスタッフの安定とともに戻し、昼も夜も満席になってきている。今は19時半オープンだが、フルブッキングでウェイティングも出る状態になれば19時オープンにして、いくつかのテーブルは2回転に。夜だけにすればスタッフは朝早く来る必要がなくなる。そしてゆくゆくはコースのみに絞る。そうなればオーガナイズはしやすく、スタッフも慣れて完成度が上がっていく。コースは今は5皿と8皿の二つだが、今後はガストロノミーコースとヴィーガンコースというように構成を変えていくと言う。
「これからはヴィーガンが主流になっていく。何かの記事で読んだが、2030年までに60%はフェイクミートになっていくとか。ヴィーガンまではいかないかもしれないが、ベジタリアンが中心になることは間違いないと思う。どの分野でもトップの人が右向けといえば皆右を向く。この業界ではイレブン マディソン パークのダニエル・ハムがプラントベースにしていくと宣言しているので、その方向になるでしょう」。

さて、岩井シェフがAaltoで繰り広げていくのはどんな世界なのか。
「最初にクラウディオには、これから10年、君と一緒にガストロノミーの世界でどこまでいけるか挑戦したいと言いました。料理人はスポーツ選手と同じで、ピークがあってそこから落ちて行くものだと思う。クラウディオと話した2年前の時点で、最大5年は自分に伸び代があると感じていた。ピークに達した後、落ちて行く時は、わかる人にはわかる。マックスでいける5年とそのあとの緩やかな下りの5年を合わせて10年間、ミラノのAaltoで全てを捧げるつもりです」。
岩井シェフが10年をかけて描くガストロノミーの世界とはどんなものなのか。
「あなたの会社のコンセプトはなんですかと言われた時に一言で説明できなければ倒産する、と言われている。僕らも一つの確固としたコンセプトがなければ多分ぶれる。それは何かと問われた時の答えは、クチーナ・リーベラ、つまり“自由”。徳吉さんも言っていたが、これからの時代、もっと料理が細分化されて、何料理ではなく、誰々の料理になる。イタリア料理、日本料理、ではなく、岩井料理を突き詰めていく。そして、ミラノというインターナショナルな街であることも自分にとっては重要で、外国人客がどんどん来る。それだけでなく他の世界のトップレストランと同じように従業員も多国籍。色々な文化を背景とする人と仕事をしてさまざまな意見を取り入れて料理を構築していく。全てが自由で無限。カテゴリーやジャンルでくくるのではなく、美味しいという一つの目標に向かってみんなで取り組んでいこうと思っています」。
10年のうちに変化することもあるだろう。どんな変化を予想しているのだろうか。
「体力の減退だけでなく、思考の力も落ちていくと思う。情報がすごいスピードで回っている時代に、自分の頭がついていかなくなる時が必ず来る。いろんなことを見ていかなければいけないのに、いつかできなくなる。自分はここまではいける、というのはわかっている。でも、そこから先は一人では限界がある。僕一人ではなく、サービスも空間も伴って、レストランとして評価されるわけであり、みんなでどこまでいけるか、だと思う。そしてそれは行ってみなければわからない。その意義を感じ、やってみたいと思っているからこそ、自分の中で2030年までと時間を決めた。その後、僕はガストロノミーの世界から身を引こうと思っている。飲食業は続けるけれど、違う形になる。もっと違う方向性、ジャンルで次のステップに進んでいくでしょう」。

Ristorante Aalto
https://www.aalto-restaurant.com

 

記事:池田愛美